これからの「酒」の話をしよう

酒。古今東西、いたるところにその逸話は流布している。Alcohol gives you infinite patience for stupidity.-アルコールで、愚かさをどこまでも許せるようになる、という言葉もあるくらいだ。

かくいう僕も、成人してからというもの、酒を飲むことへの渇望がとまらない。もちろん、所詮は学生。飲める酒の程度もたかが知れている。しかし、安酒もちょっといい酒も、それぞれの良さがあるということくらいはわかる。飲み過ぎると、舌が肥えるというより下が肥える...という感じはあるが、一度酔えば体重計もBMIも全部がどうでもいい、そんな気分になる。

僕が好む酒は、やはり日本酒。あとはビールとウィスキー・ソーダ、カクテルあたり、あれば飲みたいという感じだ。日本酒はすぐに酔えるから良い、といえばあまりにも短絡的かもしれない。だが、あの味わいは他の酒にない良さがあると個人的には思っている。宮城の日本酒なら伯楽星、浦霞一ノ蔵山田錦、乾坤一、阿部勘あたりはとても好きだった(細かい区分けまであんまり覚えてない、一ノ蔵色々ありすぎなんじゃい)。基本的には辛口なものが好きで、そういう意味ではこの県に来て結構幸せに過ごせている。ビールはハイネケンプレモルばかり飲んでいるが、おなかに貯まるのを除けばたまらなくおいしいという感じがある。ウィスキーやカクテルは、自分ではまったく買わないものの、そういうお店に連れていかれると試したくなる。『ギムレットには早すぎる』などとのたまいつつ、普通に好きなのであれば注文してしまう。イタリアンのお店にいけばワインも飲むし、基本的には飲めない酒はない。焼酎は本当にほとんど飲んだことがなく、少し寂しい感じもあるが。

酒の何がいいのかといえば、やはり味の種類がノンアルコールに限定されているときよりも格段に広がるという点が第一にある。そして、エタノールによって酩酊しているときの幸福は、やはり素面では得難いものがあるだろう。

あるいは、酒を飲むことによって得られるコミュニケーションもあるのだと思う。やはり、日頃は社会性フィルターが邪魔をしている率直なやり取りも、アルコールによるリミッター解除で実現できるという部分があるのだと思う。勿論、最終的には酒などなくても言いたいことを言い合える関係を樹立すべきなのだが、アルコールはそういう関係性をつくる過程でささやかな手助けを提供することができるのかもしれない。

いい酒があるといって呼ばれればそれが対話のきっかけになることもある。現実の退屈で鬱屈とした日々を、一時的であれ打ち壊してみたいときに、物質の力を借りたいときもある。そういうことなのかもしれない。

それに、一度酔い潰れてから少し落ち着いた頭で、外を歩いているときの、不思議と冷静だがどこか紅潮した気分は、手軽に得られるエモーショナル体験だと思っている。それが午前3時とか4時なら最高で、空が白みだしていたら完璧だ。独りで歩いていてもいいし、誰かと歩いていれば間の抜けた会話が展開されて、数時間後には忘れているはずなのに妙にその内容が部分的に引っかかっていたりする。認知能力を物質によって引き下げることで、ある種の不可思議な体験を得られるとすれば、これほど愉快なことはない。所詮人間というものを律しているのは物質的なものであるということを再認識させられる。

コロナによって酒を飲みかわすこともめっきり減ってしまった。それでも僕は酒と、それがもたらす人間模様が基本的には好きなのだ。勿論多大な迷惑をかけつつかけられつつという感じはあるが、それは先輩後輩の上下関係とか日頃の関係性によって免責してほしい、というものだ。いや、嘘である。思い返すたびに悶絶している。助けてほしい。酒など飲むものではない。とりあえず僕は1日に6合以上は飲まない!という約束をさせられてしまったので、今後は守ったり守らなかったりしていこうと思う。いや、守ります...